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○鉄・道路建物をつくる。
農作物を育て、
空気・水をきれいに

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しっくい・ドロマイトプラスター

フレスコの歴史 特徴・制作方法1 制作方法2 フレスコ画教室案内/フレスコ画の紹介

1747(延享3年)
鍋山村の役人から勘定奉行所に、御用石灰採用願いが出される
1750(宝歴3年)
江戸市場で武州灰の値下げ攻勢にあい、出流原村や下多田村の山方がこれまで通りとしてくれるよう願書を出す
1795(寛政7年)
鍋山村の名主 次郎左衛門の窯元株が取上げられて、石灰焼きが続けられなくなったため、鍋山村のすべての
百姓が連名で再開させてくれるよう願書を出す
1839(天保10年)
谷焼窯発明される
1842(天保13年)
天保の改革による株仲間解散を受け、会所を通さず石灰窯元からの直接売買となる。江戸での石灰取引が停滞する
1848(嘉永元年)
株仲間解散による取引停滞を解消すべく、野州と武州の窯元が議定を行う
1855(安政2年)
安政の大地震により、大きな被害を受けた江戸に向け、建築用石灰1万俵の献納を願い出る
1868(明治元年)
民政会計御所より、自由販売仰せ付けとなる
1874(明治7年)
栃木県内に「稼人」約80人を数える
1885(明治17年)
皇居造営のため、石灰を献納する
1887(明治20年)
安蘇郡石灰同業組合が結成される
1888(明治21年)
七輪窯発明される。
1910(明治43年) 重要物産同業組合法に基づき、野州石灰製造同業組合を設立。
事務所を佐野市若松町531に置く(組合員38名)
●大正〜昭和
1919(大正8年) 野州石灰製造同業組合の事務所を葛生駅前に移転
1929(昭和4年) 野州石灰製造同業組合の事務所を現住所(佐野市葛生東1-13-21)に移転
1947(昭和22年) 商工協同組合法に基づき、栃木県石灰工業協同組合を設立。
事務所を現住所に置く(組合員34名)
1949(昭和24年) 栃木県石灰工業協同組合を、中小企業等協同組合法に基づく組合に改組
1950(昭和25年) 当組合は石灰質肥料の共同販売事業を開始
1969(昭和44年) 栃木県石灰石工業会館落成
1990(平成2年) 80周年記念事業で、80周年記念誌発刊などを行う
2000(平成12年) 90周年記念事業で、石灰焼成、フレスコ画制作、パン焼窯制作などを行う
2005(平成17年) 佐野市、田沼町、葛生町が合併し、新生「佐野市」となる
2010(平成22年) 100周年記念事業で、100周年記念誌発刊、フレスコ画制作、記念 講演会、産業展示室開設などを行う
 今から約390年前の慶長年間、薪を燃やして生産された当時の石灰。
始めは、肥料や藍染の補助剤として利用されました。
 また、天保3年の大飢饉のときには、石灰を施肥した田畑だけが平均作であったことから肥料用石灰が大きく注目され、その価値を一段と高めたと言われています。
このような歴史を経て今日に至るまで、当地の石灰は、農業用、土木建築用、鉄鋼用、化学工業用等、多方面にわたって広く愛用されています。
ドロマイトは、苦灰石とも呼ばれ、当地に全国埋蔵量の80%強を賦存しており製綱用、建築用プラスター、苦土質石灰肥料等として全国に販売されています。
  当産地の中核をなす栃木県石灰工業協同組合は、明治43年11月1日、野州石灰製造同業組合として発足以来今日まで100年の歴史を有し、更に21世紀を迎えた今、新時代を創造する地場産業として、石灰業界の英知を結集して、大いなる発展を図ってまいりたいと考えています。
●基本情報
理事長:駒形 忠晴(駒形石灰工業株式会社 代表取締役)
・住所:〒327-0501 栃木県佐野市葛生東1丁目13番21号
・TEL:0283-85-3700  FA:0283-86-4310
・地図:
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栃木県石灰工業協同組合